모두 떠났다, 그러나 한국 구조대는…
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출처 :  [미디어다음] 사회 
글쓴이 : 서울신문 원글보기
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의리 강하고 씩씩한 한국 구조대.. 일본 사람로써 정말 고맙고 정말 한국은 많은 자랑스러운 의사가 있다.

 

모두 떠났다, 그러나 한국 구조대는…

みなが去った, しかし韓国救助隊は...

[ソウル新聞]英国, フランスが去った. ロシアと台湾も荷持をまとめた. 10余名で構成されたモンゴル救助隊も18日そろそろと荷造りを始めた. 東日本大地震による被害者たちを救出するため投入された各国救助隊員たちの撤収が始められた. いまだ日本東部の数多くの村が地震と津波が爪痕と深い傷跡に呻いているにもかかわらず, 福島空港に着陸していたヘリコプタ-に乗っていたニュ-ジ-ランドとオ-ストラリアの救助隊員4名が放射能に被ばくしたという便りが伝えられ, 各国救助隊の帰国の行列が続いている. しかし今も宮城県を中心に生存者の捜索に余念がない救助隊がいる. すなわち韓国の緊急救助団だ. 


さる12日と14日続いて宮城県仙台市に派遣された韓国緊急救助団105名, 倒れた建物の残骸をくまなく探し, 泥を掘り返しながらどこかからの生命の糸端を逃すまいとしている生存者を捜し, 今も仙台市荒浜や多賀城市などを探索している. 放射能保護服と予防薬(解毒薬?)も持ってきている. 時間に合わせ放射能測定もしている. しかし被災現場を急いで抜け出す外国救助隊を眺めていると放射能の被ばくについての恐れがふつふつとわきあがるのも事実だ. 韓国から連日心配をしている家族たちの話を聞くと心がより重くもなる. しかし時間がたつほど, だから生存者救出の可能性がだんだんと少なくなるほど共に少なくなるものがある. 放射能に対する恐怖だ. "日本を助けようとするならとことん助けていかねばならない""罹災民たちが再び立ち上がれるように復旧活動を助けねばならない. そうしてこそ我々が堂々と帰国する飛行機に乗ることができる"とは, イ・ドンソン隊長(53)の言葉だ.

 

緊急救助団が日本から簡単に離れないのは理由がある. 1980年代後半から本格的に人命救助技術を学び始めた韓国の救助団は日本の消防庁からたくさんの支援を受けた. 今回その借りを最大限返さなければならない.

 

だから救助活動に対する日本の便宜提供の提議に同意しなかった. 罹災民の輸送に利用する45人乗りバス2台の費用90万円(約1240万ウォン)も自費で払った. 車両に入れる経由3000ℓと揮発油1000ℓも韓国から空輸した. 破損した車両と建物の中, マンホ-ルの下から遺体を発見すると彼らは泥まみれの作業服の襟を正す. 現場にいた隊員たちが皆集まって挙手敬礼をし, 黙とうをささげる. 日本の風習に従って手を合わせて冥福を祈ったりもする.

 

救助隊員たちの心のこもった遺体搬送の姿に罹災民たちも泣き出しそうになりながら, 口を開き始めた. "嫁がまだ見つからないんです.""会社の同僚が押し流されていくのを見ました. 絶対探さなければ."いつの間に覚えたのかきちんと韓国語で"カムサハムニダ(ありがとうございます)"と言う言葉を伝えてくる住民も現れた.

 

宿所は災害現場と近い宮城県立グランドの横にある補助グラウンドに設置した点とだ. 何日間か強い吹雪が吹き付けテントの中まで吹き寄せている. 体感温度が零下10度だと伝えられた. 洗顔も韓国から持ってきたぬれティッシュでしている. かれらの献身的な活動は現地言論の集中的なスポットライトを受けている. 朝日新聞は18日付の新聞で韓国緊急救助団員達の救助活動を'悲痛なる捜索'と言うタイトルで詳細に紹介した.
キョンスルクッチ101年, 韓国の若者たちが日本の災難現場で二つの国の新たなる歴史を静かに書いている.

 


東京イ・ジョンラク特派員 jrlee@seoul.co.kr

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